世間は、三菱や住友といった旧財閥系企業を「伝統ある大企業」「商売の巧みな巨大資本」として語りたがる。しかし、その認識は決定的にピントが狂っている。
戦後のGHQによる財閥解体、度重なる金融危機、幾多の不祥事を経てもなお、彼らがこの国の根底で揺るぎない支配力を保ち続けている理由――それは、彼らが資本主義市場の単なるプレイヤーなどではなく、「国家そのものの骨格を設計し、担ってきた統治階層のDNA」を内包しているからに他ならない。
彼らが放つあの鈍く重厚な威圧感と、何があっても潰れない不気味な強靭さの正体は、どこにあるのか。
一、旧財閥を統治階層たらしめる「三つの傲慢」
戦後に現れた新興企業や、四半期決算の数字に右往左往するサラリーマン経営者と、旧財閥系とでは、立脚している時間軸と世界観が根本から異なっている。
1. 「短期の市場の顔色」など見ない傲慢さ
彼らの背後にあるのは、幕末・明治の動乱期から国家の近代化、軍需、重工業、インフラのすべてを担ってきたという強烈な自負である。
「自分たちこそが日本そのものを動かしている」という特権意識があるからこそ、海外の物言う株主や市場の気まぐれな流行に対して、本質的には冷淡で傲慢でいられる。流行に迎合して自滅していくベンチャーを「泥臭い下々のあがき」として高みの見物ができるだけの、冷え切った自意識の防壁(モート)を最初から持っているのだ。
2. 「金友・閨閥(けいばつ)」という超法規的ネットワーク
財閥の強靭さの核は、帳簿の上の資本金ではなく「血縁と特権階級の蜘蛛の巣」にある。
明治以降、旧華族、政治の中枢、高級官僚のトップ層と幾重にも重なる婚姻関係を結び、利権と情報のパイプを張り巡らせてきた。表向きの市場ルール(公開市場、コンプライアンス、株主総会)とは別の次元に、「内輪の合議(金曜会や白水会)」という非公式の鉄の結束が存在する。
グループの一角がどれほど巨額の赤字を垂れ流そうが、どれほど社会を揺るがす不祥事を起こそうが、銀行・商社・重工がスクラムを組んで裏から資金と息を吹き込み、絶対に市場から退場させない。
市場経済のルールで戦っているように見せかけて、いざとなれば「国家と特権階級の安全保障」という超法規的な力学で盤面を覆すのである。
3. 「資本主義を飼い慣らす側(胴元)」の血筋
戦後の多くの日本企業は、「資本主義というゲームに参加させられた労働者」に過ぎない。だからこそ、株主の欲望やアメリカ発の金融工学に振り回され、アイデンティティを喪失する。
しかし、彼らの源流にあるのは、国家をプロデュースし、法律を作り、貨幣の流通を握ってきた「ゲームマスター(胴元)」の論理である。住友が400年にわたって別子銅山を守り抜き、幕府の瓦解すら生き延びてきた「浮利を追わず」という家訓は、美徳というより、目先の利益を軽蔑する傲慢なまでの長期主義の産物だ。
彼らは資本主義の波に踊らされるのではなく、「資本主義という濁流を利用して自らの血脈と影響力を永遠化する」側に立っている。
二、三菱の原質――最底辺の地下浪人が放った怨念
この獰猛な怪物の頂点に君臨する「三菱」の祖・岩崎弥太郎。彼こそは、土佐の山奥から這い上がり、国家そのものを手玉に取った「怪物のいごっそう(頑固で偏屈、気骨のある男)」であった。
弥太郎は、華々しい土佐藩士ですらない。土佐藩の過酷な階級制度――山内家直属の支配層「上士」と、旧長宗我部系の被差別層「下士」――のさらに最底辺、下士の身分すら売り払って没落した「地下浪人(じげろうにん)」の出身である。
虫けらのように踏みつけられ、差別され尽くした少年期の屈辱が、彼の骨の髄まで焼き付いていた。
「いつかこの理不尽な身分制度そのものを、金と力で根底からねじ伏せてやる」
この凄まじい怨嗟のエネルギーこそが、三菱という怪物を駆動させた最初の燃料であった。
龍馬の夢を強奪し、国家を買い取ったリアリズム
幕末、土佐藩の貿易部門(九十九商会)を任された弥太郎は、維新の動乱と混乱のどさくさに紛れて船と商権を巧みに手に入れ、私物化していく。
坂本龍馬と海援隊が夢見た「海運で世界と渡り合う」という青写真を、維新後に最も冷徹で狡猾なリアリズムをもって実行・総取りしたのが弥太郎だった。
さらに明治政府の要人(大久保利通や大隈重信)に徹底的に取り入り、西南戦争では政府軍の軍事輸送をほぼ独占。「国が戦乱になればなるほど三菱が肥え太る」という死の商人としての獰猛さで、莫大な富を吸い上げた。
あの有名な「スリーダイヤ」のマークを見よ。
あれは、かつて自分たちを虫けらのように見下していた旧主君・山内家の家紋「三つ柏」と、岩崎家の家紋「三階菱」を掛け合わせて作られたものだ。かつて自分を差別した支配者の印を、自らの家の印と合体させ、世界を覆う商標へと仕立て上げたその皮肉と執念の深さは、常人の想像を絶している。
三、土佐の遺伝子――荒気と怜悧な計算が交差する地
単なる「気骨ある頑固者」などという生易しい言葉で、彼らを括ることはできない。土佐の最底辺から天下を買い取り、国家そのものを自らの船に乗せてしまった、とてつもなく獰猛で計算高い怪物の意志。
土佐(高知)の血とは、何なのか。
それは、荒波逆巻く太平洋を前にした「気性の荒さ」と、獲物を逃さない「絶対零度の計算高さ」を、矛盾なく同じ遺伝子の中に宿していることだ。
男も女も関係ない。
中央の権力に媚びず、世間の道徳や空気に騙されず、ただ冷徹に「時代の変わり目」と「歴史の力学」を見抜く眼。その眼が、既存の秩序が崩壊する乱世の節目において、歴史を強奪する化け物を生み出してきた。
旧財閥が今なお放つ鈍い光の奥底には、資本主義のゲームなど最初から眼中にない統治者の血と、理不尽な世界を力でねじ伏せてきた土佐の怨念が、今も脈々と脈打っているのである。

